「生き辛さを支える」ソーシャルワーカーの相談室

自分の気付きと振り返り(51)「分かっているような気にならない」

 
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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。

今回の言葉は「分かっているような気にならない」というものです。

ソーシャルワーカーは仕事上、クライアントはもちろんの事、チームメンバーも含めた関わる人達を常に「アセスメント」していきます。アセスメントは、情報を収集・分析・統合・判断の総体として行う対人援助職の技術の1つです。

アセスメントが少しずつ上達していくと、アセスメントした人のことを分かったような気がしてしまいます。もちろん、アセスメントにより、その人の特徴や考え方、思い至る事、行動原理など、妥当性のある推定は出来る所があります。しかし、アセスメントをした事で私自身がその人を分かったような気になってしまうと、「決めつけ」という主観になってしまい、他の見方をシャットアウトしてしまう事があり、失敗した経験が私にはありました。

それは後から考えるほど非常に怖い経験でした。なぜなら、自分が決めつけてしまったが故に、アセスメントをした人が自分の予想の範疇を超えた対応や行動をとった時に、「何故?」と思うと同時に、「自分のアセスメントが間違っているはずがない」と責任転嫁してしまう事に繋がったからです。

私もそうですが、人は多面体です。私が仕事上見えている事は、あくまでも多面体の中の一定程度の部分でしかありません。いくらアセスメントをしたからといって、「その人の全てが分かる」なんて、おこがましいものです。そして、人は変化していく生き物です。それ故、その変化に対してもアセスメントしていくのであれば、私たちは「常に分かろうとし続ける事」しか出来ないのだと思います。

アセスメントをしていく対象者に対して、一定程度の解像度が高くなっていくと、私はすぐわかった気になってしまう癖があります。今回改めて「人は他人に見せていない部分が必ずある」「人の気持ちの全ては分からない」という当たり前の事を思い出し、それでもソーシャルワーカーとして常に「人を分かろうとし続ける」態度は持ち続けていきたいと振り返りました。

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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

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