自分の気付きと振り返り(75)「経験を大事に扱えばいつか美しい強さを纏える」

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「経験を大事に扱えばいつか美しい強さを纏える」というものです。
仕事に就いたばかりの新人の頃、私は、出来るだけスマートに仕事が出来る、強くてかっこいい自分でありたいと思っていました。そして、口先だけにならない様に努力もしていたつもりでした。仕事が出来る上司を目の当たりにしていた事もあり、その思いに拍車がかかっていました。
他者から早く自分を認めて欲しくて、認められる為に頑張る自分も早く認めてあげたかった為、焦っていたのだと思います。
今思い返せば、まだ何者でもない私が早く他者から認められる事はあり得ないのですが、自尊心の高さと、自己肯定感の低さに耐えられない脆さのある私は、上司と自分を比較し、自分を変に駆り立てていたのだと思います。
その当時の私は、自分が上司のように強くある為に、知識をつけ、人よりも多くの仕事を常に行い、自分を目一杯使う「闇雲な全力」をし続けていました。
闇雲な全力をしている私は、肉体的にも精神的にも一定の自己満足が得られました。この状態は「ここまでやったのだから大丈夫」と自分に暗示をかけるに容易い要素が揃います。だからこそ自分を美化し、正当化出来てしまう闇雲な全力は、当時の私にとって自己肯定感が高くなる事とイコールだったのです。
だからこそ、適度に自分の弱い所を見なくて済む闇雲な全力の私は、その負荷に見合わず、成長している実感はありませんでした。ただただすり減り、とても脆く、危うい状態でした。仕事が出来る上司の「何が凄いのか」を分析する事も盗む事もせず、自分が出来ていない事だけを悟られない様に、ハリボテを作り見栄えを強化した事で、結果的に自分が思うように育っていなかったのです。
ハリボテを強化する事でしか自分を保てなかった新人時代を過ごした私にとって、過去の経験は悲惨と捉えるに十分でした。しかし、今回の言葉である「経験を大事に扱えばいつか美しい強さを纏える」という言葉と出会い、とても衝撃を受けました。こんなに遠回りをして無駄だったと思える経験をした私も、この経験をしたからこそ美しい強さを纏えるのだと言ってもらえた気がして、過去の私が救われた気がしたのです。
経験を重ねていくと、徐々に考え方も対応の仕方も、力が抜け、シンプルになっていきます。新人時代の上司の対応は、その経験から力強く余裕があり、ポイントを絞った力のかけ方と、無駄の無いしなやかな力強さがありました。私は羨ましかったのです。
新人時代に上司と仕事を共にして知った「熟練の技」は、経験を無駄にせず大事に扱ったが故になせる業だったのに、新人時代の自尊心が高い私は、「今の自分にも出来る」と憧れを邪に変換してしまったから、闇雲な全力に拍車がかかってしまったのですね。
このように今になって振り返ると、その無駄と思える失敗の経験も、ちゃんと後輩の指導という形で生かされているのだなと思います。新人時代の目を覆いたくなるイタイ経験も無駄にしない様に、意識的に自分のものとして取り込もうとする事で、結果的に緩やかに達人になっていけるのだと思います。
これからの私も、経験出来るものを無駄にしない様に、自分のものにしていきたいと思います。そして、闇雲な全力から、手を抜く訳では無い「ポイントを押さえた全力」が扱えるように成長し、これまでとこれからの経験で、いつか美しい強さを纏えるようにしたいと思います。