自分の気付きと振り返り(82)「芯のあるゆるさ」

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「芯のあるゆるさ」というものです。
はじめてこの言葉を聞いた時、矛盾の有る言葉だなと感じたのが第一印象でした。しかし、心に残った言葉でもあり、何となく分かるような気がする言葉でもありました。言語化してみたいと思います。
仕事を含め、私達の日常は余裕や余白が無くなってきているなと感じます。効率化が求められ、無駄と考えられるものをそぎ落とす中で、何だか気持ちも感情もそぎ落とされてしまう部分があるのかなと思う程、何かに急き立てられる様に走っている感覚があります。
人口動態の変化からくる社会構造の変化は、経済活動も含め「より効率的に、効果的に稼ぐ」事を推奨していきます。企業であれ個人であれ、これは「数」を追い求める事になります。効率化が進む昨今、価値基準が「数」になってくる世の中で、数で計り辛いものをもう一度許容出来るほど、今の世の中に余白があるのだろうかと、自問自答してしまう自分もいます。それは、私が「対人援助職」という仕事に就き、数も大切であるが「人が生きる事への満足度」を高めていきたいという「質」を求める事に価値を置いているからかもしれません。
今回の言葉である「芯のあるゆるさ」は、効率化と数を求める昨今、生き辛さを感じている人にとって、余裕や余白の大切さを思い出させてくれる言葉だなと感覚的に捉えていました。今回の振り返りにて言語化が少しずつ出来たことで、私の中で「ゆるさ」を感じていく事は、決して悪ではないと言ってもらっているように思えました。
今の世の中では、効率的で効果的に無駄をそぎ落とす部分だけに囚われ過ぎず、「ゆるさ」を共存させ、その配分を今の自分を保つためにバランスを取っていく事が求められるのかなと思います。その考え方や心持ちを自分軸で考えて少しずつでも行動出来ると、ただただ急き立てられて走り続けている感覚から抜け出せる一歩に繋がる気がしています。
この言葉は、自分を強く高くあろうと背伸びをする自意識にも、俯瞰する視点を持たせて立ち止まらせてくれる言葉にもなるのだと思います。
まだまだ、私の内在言語にまとまりがありませんが、自分をこれからも折れずに育てていく為には、「芯のあるゆるさ」は、自己成長と自己覚知において一つのキーワードになりそうです。