「生き辛さを支える」ソーシャルワーカーの相談室

本の感想(6)

 
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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

今回の本は、集英社インターナショナルから発刊された、佐々涼子さん著作『エンド・オブ・ライフ』

この本は、在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった著者の難病の母と、彼女を自宅で献身的に介護する父の話を交え、7年間にわたり見つめてきた在宅での終末医療の現場を描いたもの。読者に自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれる一冊です。

今回こちらの本を読んでの感想を私の備忘録として残します。

<記憶に残った言葉>
・病の中にある幸福を照らし出せないか。
・後悔するのではないかという恐れに翻弄される日々ではなく、今ある命の輝きを大切にするお手伝いができたらいい。
・人は、生きてきたようにしか、死ぬことができない。でも病をきっかけに、自分もまわりも変化して、違う輝きが生まれるかもしれない。
・私達は見たいようにしか他人を見ていない。家族においてはなおさら。
・この仕事は 僕が思うに自分次第です 介護者次第で その人が変わる 手を抜くと どんどん弱っていってしまう 。ものみたいに扱うと その人の気持ちは変わっていってしまう。 そこを自覚してやっていかないと 意味がない。
・他人から見れば合理的ではない考えや習慣。でもそれにしばられることで生活を成り立たせている人が確かにいる。
・今日、明日をなんとか暮らすことに苦労している人は沢山いる。
・認知症の彼女は 過去の記憶の中に閉じ込められている。 認知症の方は自分の一番いい時に戻る。家は患者の一番良かった日々を知っている。
・病院ではルールが大事なのだ。家での自由な生活とは勝手が違いここは融通の利かない世界。
・ケアは、ルーティンになると、こなす事になる。それは「やらなくてはいけない作業」となる。個別化を無くし、患者からみた気持ちに至らないケアは、拷問になる。そうなると、患者は生きる力を削がれ、身体は硬直し、益々ケアのしにくい状況を作ってしまう。
・病を得ると 人はその困難に何かしらの意味を求めてしまう 自分の痛みの意味 苦しみの意味 。
・人は意味のないことに耐えることができない だからこそ自分の生き方を見直してみたくなる。
なぜ病になってしまったのだろうか 今までの生き方が間違っていたからではないのか 本当にこの生き方で良かったのか 自分には別の道があったのではないか。
そして心も体も全て委ねる 大いなる存在が欲しくなり それにすがりたくなる。 これがスピリチュアルペイン。
・主治医がどれだけ人間的であるかが、患者の運命を変えてしまう。
・予後告知は、医者がするものではない。患者自身が感じているものを引き出すのだ。あなたはどう思いますか?
・きちんと自分が幸福気になった上で、人を助けない限り、他人も幸福にできない。
・人は医師が どんな死生観を持っているかを知らずに、自分の運命を委ねる。
・患者さんが主人公の舞台に、私達も上がって、みんなで楽しい劇をする。プロデューサーは在宅医
・先にこの世を卒業したばかりの人生の先輩は、我々に救いを与える。その死が穏やかであるとなおのこと知る。
・亡くなった方へ、寂しいけれど、悲しくない。鋭い悲しみではなく、もっと肌触りのある柔らかなお別れ。
・好きなことを聞いてあげなかった。でも本当はあるのかもしれない。素直に聞くことの大切さ。
・好きなように生きた人に教えられることもある。
・もっと堂々と好きなように生きてもいいのかもしれない。 どのみち誰にも迷惑をかけずに生きることなど不可能なのだから。
・その人が安楽に生きることが一番いいことと思ってやってきたが、危ないから、不便だからと行動制限する。長年暮らした自宅は、今まで暮らしてきた知恵と経験がぎりぎりまで生活を成り立たせることがある。
・患者がどういう暮らしをしたいのか、酌んで、サイズにあったものを仕立てる。病院だと出来ない。
・テーラーメイドな医療と福祉は制度に思いを載せて繋いで行く。こうじゃなきゃだめだと言うのではなく、どちらもいい。やってみたらいい。ダメなら変えたらいい。が、ありがたい。そして、そのわがままに向き合ってくれる仲間がいるから過ごせている。
・命の閉じ方を、家族に、親しい人に、教える、伝えることができるだろうか?
・亡くなり行く人は 遺される人の人生に影響を与える。彼らは我々の人生が有限であることを教え どう生きるべきなのかを考えさせてくれる。死は残された者へ 幸福に生きるためのヒントを与える。亡くなり行く人がこの世に置いていくのは悲観だけではない。幸福もまた置いていくのだ。
・気を抜いている場合ではない。貪欲にしたいことをしなければ。迷いながらでも、自分の足の向く方へと1歩を踏み出さねば。
・大切な人を大切に扱い、他人の大きな声で自分の内なる声がかき消されそうな時は、立ち止まって耳をすませなければ。そうやって最後の瞬間まで誠実に生きていこうとすること。それが終末期を過ごす人たちが教えてくれた理想の生き方。少なくとも、彼らからは「生」について学んだ。

<感想>
・人は生きてきたように死んでいく。迷惑をかけずに生きられず、迷惑をかけずに死ねないのであれば、堂々と生きて死ぬ事が「全うする」という事なのかもしれない。

・「生きる」を全うし、その先にもっと肌触りのある柔らかなお別れが残す「温かみ」が、関わる人に伝わるのであれば、それは「この人が生きた証」になるのではないか。

・制度に従っていたのであれば、拘束される。制度に温かみを持たせられるのは、支援者のアセスメントを含む気持ちと、態度と、エピソードだと思う。この事こそがソーシャルワークの醍醐味なんだと思う。

 

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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

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