自分の気付きと振り返り(27)

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「私でいる日々が 動き出していた 知らない方に」というものです。この言葉は、星野源さんの「Eureka」という曲の歌詞の1つです。
星野源さんの曲や歌詞の意味については、聞き手によって解釈が変わるので、この曲の歌詞に込められた1フレーズの意味を考察するのではなく、単純に「私でいる日々が 動き出していた 知らない方に」という言葉の意味について、はっとさせられた事を言語化してみようと思います。
対人援助職を仕事にしていると、私は支援者側がクライアントを、いつしか「操っている」という感覚に陥る事があります。例えば、支援者がクライアントへの選択肢を提示している中で、意図的に「この選択肢を選んで欲しい」と思い、「妥当だと思われる選択肢のカード」をクライアントが「取りやすいように」説明したり、見せたりする事です。もちろん、この手法が間違っている訳ではありません。認知機能の低下傾向にあるクライアントにとって、支援者との信頼関係の上で提示された「安心できる提案」は、その人にとって自己決定を促しながらプロセスにも配慮した「最善の選択肢」であると思います。
一方で、この対応をやり過ぎてしまう事で、クライアントの「失敗する経験」を奪い、自己成長を促すきっかけの喪失にも繋がる事があります。特に障害福祉の分野において、「愚行権」として取り上げられている内容でもあります。
歌詞をもう一度振り返ると、「私でいる日々」という言葉には、「クライアントの人となり」を再度認識させられます。また、「動き出していた」という言葉には、現在の支援の在り方を含む「クライアントの感情の段取り」が、今求められている世の中的な様々な縛りの中で「スピード感の違い」として「自分の事なのに置いてけぼり」になって表れているように感じました。そして「知らない方に」という言葉には、クライアント自身でも「訳が分からないまま」操られていった結果として、「自分で決めたはずの未来」を振り返った時に「これで良かったのか?」「これが良かったのか?」と切なくなる状況を思い浮かべてしまいました。
この歌詞は、世の中的に「効率化」を求め過ぎる「今」に対して、ちゃんと「危機感」を表してくれるものだと感じました。
多分、答えはいつも「クライアント」が持っているのだと思います。