自分の気付きと振り返り(37)

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は【「多様性がある」ということは「正解が無い」世の中である】というものです。
近年よく耳にする「多様性」という言葉。大衆ではなく個人の価値観を重要視する考え方は、閉塞感を感じてしまう現代社会において、「生き方」と同様に捉える事も多くなっていると感じます。
これら多様性という考え方が重要視される状況は、世の中的な流れだと考えられますが、一方で自分の価値観や考え方に自信が無いと不安に悩まされる側面が出てしまいます。
多様性が求められる前の世の中では、「皆と同じ」であることが「当たり前」と考えられ、そのこと自体に疑問を持つ事も無かったように思います。皆と同じという価値観は、ある意味で「正解」を見つける事が容易であり、安心感を求めやすくもあります。
しかし、多様性を求める現代は、それぞれのロールモデルが中々見つかりません。それ故、自分の生き方や考え方に「正解が無い」という状況に身を置くことになります。自分の中に正解を見つけるために、考えて葛藤し生き続けるという、とても胆力の要る事を今の世の人はしているのだと、改めて気が付かされました。
SNS等で簡単にかつ安易に比べる事が出来てしまう情報過多の世の中では、自分自身を納得して生きる事が常に試されているのだと思います。
これらは、「自分は何者かを常に問う」という言葉にもなるのだと思いますが、実はソーシャルワーカーの仕事も、「これがソーシャルワーカーの仕事」と言い切れるものが無いのです。働いているその場所で行う役割が皆違うのがソーシャルワーカーの仕事です。
仕事の中で、自分は何が出来るのか常に問い続けるソーシャルワーカーは、ある意味「仕事の中における多様性」をずっと模索して、生き方に昇華していきた部分があるのだと思います。確固たる正解は無く、ロールモデルが居ない事が多い部分も、多様性の現状と似ている所がありました。
多様性がある正解を探し求める生き方をする人と、ソーシャルワーカーとして仕事や価値を求めて仕事をする人は、実は同じ苦しみや大切な視点を共感出来る者同士なのかなと思い至りました。