自分の気付きと振り返り(44)「特徴の共有と評価の共有は違う」

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「特徴の共有と評価の共有は違う」というものです。
仕事をしている中で様々な人と出会いますが、個人的に注意をしている事があります。それは私が把握した「その人の特徴」と、私が思う「その人の評価」を混在させないという事です。これは、人から人へ様々なものを繋いでいく対人援助の仕事にとって、これらを混在させてしまう事はとても危険だと感じているからです。
例えば私がとあるAさんの事を、「細かな事に気が付く人」で「融通が利かない人」と捉えていたとします。そして、その捉え方を他者であるBさんに言葉通り伝えたとします。するとBさんは、私がAさんの事について「細かな事に気が付く人」という、ポジティブにもネガティブにも捉えることが出来そうな言葉と併せて、「融通が利かない人」というネガティブに捉えがちな言葉を一緒にして話したことで、相対的に悪い印象を植え付けてしまいます。これは勝手なラベリングであり、勝手にレッテルをはってしまう事になります。
人間は多面的であるにもかかわらず、私がAさんを勝手に評価した部分を混在させて伝えた事で、Bさんが本来自分自身で感じた別な見方や、別な印象を感じられる機会を損失させた事になります。
これらを、クライアントについて支援者間で情報を共有された何気ない場面に置き換えると、結果的に私はクライアントに対して不利益を渡した事になります。対人援助職としてはあってはならない状況です。
このような場面を注意していく上で、今回の言葉である「特徴の共有と評価の共有は違う」という事をことあるごとに振り返るようにしています。あくまでも客観的に捉えられるその人の「特徴」と、私自身が感じた「評価」を混在させずに、表現するにしても必要に合わせ分けて伝えるように心がけています。
また、私自身が情報を受け取る側として気を付けている事があります。それは、ネガティブな印象に繋がる情報ほど私は防衛機制が働いてしまうので、他者からネガティブな情報を伝えられた場合には、「敢えてまっさらな状態でその人に会いに行く」ということを心掛けています。
情報を出す側であり受け取る側である私達対人援助職は、仕事の中でいつも「特徴の共有と評価の共有は違う」という基礎的な理解を、しっかり自分に落とし込まないといけないなと感じました。