「生き辛さを支える」ソーシャルワーカーの相談室

自分の気付きと振り返り(50)「俯瞰している自分を育てる」

 
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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。

今回の言葉は「俯瞰している自分を育てる」というものです。

対人援助職の私たちは、常に自分を武器に、自分を社会資源として、クライアントと向き合います。目の前にいるクライアントに対して全量を傾ける支援者も多くいらっしゃいます。私は以前、クライアントに対して熱心になるあまり、頭も心も熱くなり、クライアントを置いてけぼりにしてしまった事があります。まさに独りよがりでした。その時に先輩に教えてもらった言葉が「俯瞰している自分を育てる」という言葉でした。

この言葉を貰った最初の頃は、「熱心に真剣にやっているんだから良いのではないのか?」という気持ちを抱いていました。今でこそ「馬鹿だなあ」と自分の事を振り返りますが、本当に当時は、「自分が熱心になる=正しい」と思っていました。

ソーシャルワーカーの後輩を教えていく立場になった時に、改めてこの「俯瞰している自分を育てる」という言葉の意味を噛みしめています。それは、熱心にクライアントにのめり込んでいる時ほど、「視野が狭くなる」状況に陥り、「ソーシャルワーカーとしての私」よりも「個人としての私」の割合が高くなり、結果的にクライアントの為のソーシャルワークではなく、私の為のソーシャルワークをしてしまう危険性が高まる事に繋がるのです。

社会福祉を学ぶ学生だった時に、「ソーシャルワーカーは、熱い心と冷静な頭を持ちなさい」という言葉を教わりました。今考えるとそれが、俯瞰している自分を育てる第一歩だったのだと思います。これからも、熱い心と冷静な頭を持ち、クライアントに向き合う中で、クライアントに対して上手に自分自身をソーシャルワーカーとして使いこなせるようにしていきたいと振り返りました。

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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

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