自分の気付きと振り返り(58)「自分を認めハリボテを被らない」

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「自分を認めハリボテを被らない」というものです。
少し自分語りを致します。私は、元々他の人よりも優れていると思いたい人間でした。また、自分の機嫌を自分で取ることが出来ず、他者の評価が自分の求めている状態にならないと不貞腐れるような、本当に面倒な人間でした。今もその要素を持っています。少し前の私は、これらの「自分の嫌な部分」を見ないフリをして、無かった事にしたくて、一生懸命隠していました。
そんな見せかけだけ繕ったハリボテの私は、対人援助職の仕事をしていく中で、自分のこのような癖がクライアントに不利益を与えたり、チームで仕事が出来なくなったり、最終的には信頼関係を失うような経験をしました。こんな遠回りの経験をしてようやく私は、自分の嫌な所も自分であると認める事が出来たのです。
恥ずかしながら、自分にも他者にも傷を付け続ける経験を経てからではないと、今の自分を認める事が出来なかったのです。ハリボテの渦中にいる時は今のレベルで出来ている事も自身で認められず、「まだ駄目だ」「もっと、もっと」と自分を急かし、ハリボテを強化していました。そのような状態の私が自分を認められるようになった時、それは私にとって「自分を許す」という事と等しいものでした。
自分を許せるようになってから、繕ったハリボテの「出来る自分」を見せなくても「今の私が出来ている事」を積み重ねた「今の自分」に自信がつくようになり、今は前よりもちゃんと「自分を使う」という事が出来るようになりました。自分を武器に自分を素材に使えるようになったことで、今はこの対人援助職の仕事が楽しいと思えるようになりました。だからこそ、今の私はもっとこの仕事で出来る事を増やして、感じのいいソーシャルワーカーになれるように、今は目の前のケースを大事に向き合っていくようにしています。
今の私は、「自分を認める」という状態を体感し、自分の今のレベルで出来ている事を認めて今の自分を信じる事が出来てきました。だからこそ、「自分を認めハリボテを被らない」という言葉は、今の自分の力をちゃんと感じて未来の成長に自身が期待しつつ、元来の私の癖である変なハリボテ達を被らない様にも注意をしていく事で、感じの良いソーシャルワーカーを目指すように自分を育てる事を表現しています。
ここまで言語化が出来て自分を振り返ることが出来ました。これが自己覚知なのだなあと振り返りました。