自分の気付きと振り返り(60)「格差のある社会だからこそ思いやりが必要」

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「格差のある社会だからこそ思いやりが必要」というものです。
現在の世の中は、格差がとても大きくなっていると私は感じます。経済的な格差はもちろんのこと、機会や安全の格差も年々目立つようになりました。SNSなどで簡単に自分と他人を比べられる様になった事も、格差を目立たせる要因と考えられます。
以前から格差はありました。社会は平等ではありません。ただ、私たちが仕事にしている「社会保障」の分野は、理念として「公平」を目指し創られました。「社会的弱者」という言葉に代表するように、個人の理由ではない社会背景等で、人が生きる事を蔑ろにされてはいけないという事を国が認めるからこそ、「社会保障制度」が整備され、社会が生きることを保証しています。そして、社会的弱者を社会全体で支え合う仕組みが「公平」だと考えられるからこそ、「社会保険制度」が造られました。
現在、その社会保障制度の維持に多くのお金が使われています。国の財源はもちろんですが、私達から徴収される各種保険料も年々増加し、今後も徴収される項目やその金額も増えていくことは明らかです。この事に若い年代から「不公平だ」「平等ではない」という声が取り上げられている事を目にしました。
確かに、現在の若い年代からすれば、社会保障の有難さが体感出来るのはもう少し先の話になるかもしれませんし、今の生活も余裕が無いのに保険料だけが年々上がり徴収し続けられる事も不公平だと感じられるのだと思います。今の世の中は、個人の損得勘定が優位に働き、経済的合理性が取り上げられ、生産性至上主義の社会にどんどん舵をきる状況です。このような今の世の中は私達にとって、「生き辛い」と感じさせてしまいます。
個人も社会も視野が狭くなっている状況で、様々な余裕が無くなっている昨今では、改めて「平等」(一律で同じ扱いや一律の分配)や「公平」(得られる結果が他と同程度になる)が感じにくく、「格差がある社会」だと認識する事が大切なのかもしれません。そして、格差が大きくなっている現在においては、改めて「思いやり」が必要なのだと思います。合理的な配慮と理性で判断し、理解したものが行動することで「思いやり」は生まれます。
社会保障制度の中で仕事をしている私は、改めて社会保障制度の本来の成り立ちを理解した上で、それらが必要な状況をアセスメントし、上手に社会保障制度を使っていく事を提案していきたいと思います。社会保障制度をクライアントに対して上手に使いこなすことは、少なくとも「社会の思いやり」を体現できる方法だと私は考えています。
格差がある世の中で、社会は個人に対して平等では無く、それでも人が生きる上で公平な状況で生きられるように仕組みを作り維持する世の中は、全体を通してみると決して悪いことばかりではないのだと私は思います。せめて対人援助職の私たちは、社会保障制度を上手に使い、クライアントに対して生き辛さを少しでも軽く出来るように、思いやりがあってもいいのだと思います。