自分の気付きと振り返り(8)
この記事を書いている人 - WRITER -
現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。
中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。
また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。
様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。
また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「福祉は感情を根拠にしても良い」というものです。
昨今、様々な場面で「エビデンス(根拠)」を求められます。そして、そのエビデンスには、理論的だったり、再現性のある法則だったり、いずれも科学的な部分を求められています。昨今の福祉分野にも「科学的根拠」をより重視される風潮になりました。
もちろん私自身も、対人援助の仕事の中で、心理学、社会学、行動経済学など、様々な「人を知る」という部分において一定の学問的な見解で推論を立てて理解していく部分があります。また、対人援助の場面では、クライアントの心境や価値観を理解する上で、クライアントを家族システム的に理解する場面も多いです。
このように仕事を進めて行けばいくほど、自分の中に「人を論理的に理解する事が出来ると思い過ぎる」気持ちが芽生えます。簡単な言葉で言えば、「分かった気になる」という状態です。これが非常に危険であることを自分の中でも戒めとしています。
「冷静に分析している」ともまた違う、分かった気になって冷めたような自分に対して、足りない部分を浮かび上がらせてくれる言葉が「福祉は感情を根拠にしても良い」というものでした。
人の理解、クライアントの理解には、様々な分野から導き出す体系的な理解は必要ですが、同時に心理的に矛盾をするのもまた人ですし、不合理な過ごし方をしてしまうのも人間らしさだと私は感じています。
福祉には、不合理な状況だったとしても、クライアントの「感情」に着目していく。その不安定で不合理な強い感情を、その時の根拠にして良いのだという言葉は、まさしく対人援助という仕事の土台である人間味や、人間愛なのかなと感じています。
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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。
中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。
また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。
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