自分の気付きと振り返り(87)「自分の為の言語化と相手の為の言語化」
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「自分の為の言語化と相手の為の言語化」というものです。

私は仕事をしていく中で、多くの「言語化」をしています。クライアントの思いを伺う場面においては、その感情や情報を言葉にして振り返り、分かりやすく言い換えをする事は日常的です。また、私自身が感じた思いや感情を相手に伝える時には、自分から湧きあがる感情なるべく相手に伝わりやすい形に落とし込む為に言葉を駆使します。
私は元々文章を書くのが苦手ではなく、内在言語を言語化する事が心地よいと感じるタイプの人間です。その為、なるべく自分の思いを口にするのであれば、正しい言葉を分かりやすく使おうと努力をしてきました。そんな時に、私の上司からこんな一言が飛んできました。
「あなたは言葉に縛られ過ぎる」
最初は意味が分かりませんでした。言葉を正しく使おうと思い、自分の感覚や感情に一番しっくりくる言葉を選んで言語化しよう考え行動していた私は、上司の一言が不快ですらありました。そんなモヤモヤを抱えたまま仕事をしていたのですが、ある時チームのメンバーから、私にとって意外な言葉が飛んできました。
「あなたの言葉は難しいよ」
分かりやすく伝えるために、言葉の意味が過不足ないように、正しい言葉の意味を選び、難しすぎる言葉も排除してきたのにも関わらず、私の言葉が難しいとはどういう事だろうと、瞬間的に怒りを覚えました。その時、上司からの「あなたは言葉に縛られ過ぎる」という言葉を思い出しました。そして冷静に振り返ると、正しい言葉を使おうと囚われ過ぎていたのは自分だったと気づきました。
私が好きな「正しい言葉を使う」という事を否定しなくてもいいのですが、私はその考えを他者にも押し付けるがごとく言い換えをし過ぎた部分があったのです。相手にとっては、それが「圧力」に感じられてしまったとしても無理はありません。
本来、「私」と「他者」は、コミュニケーションにおいて「共通言語」をどの程度もっているか分かりません。そして、それぞれが言葉の持つ意味をどの程度吟味しているかも不明確です。更に言えば、言葉の意味を解釈違いや自己流で認識して使っている事も多々あります。
私は自分の言葉選びを練習し、ある程度言語化にも自信があったからこそ、他者にも強要してしまい、相手の言葉の意味の齟齬を許せなくなってしまうから、「言葉に縛られ過ぎる」状況が生まれたのだと振り返りました。
私もまだまだ、「自分の為の言語化」であり、「相手の為の言語化」では無かったという事に気が付けました。今日の言葉である「自分の為の言語化と相手の為の言語化」を胸に止め、これからは相手の為の言語化に近づけられる様に努力していきます。