自分の気付きと振り返り(89)「ごまかしは自分を蝕ませる」
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「ごまかしは自分を蝕ませる」というものです。

年齢を重ねていくと、何事もある程度の予測が立ち、傷つき過ぎずに立ち回れる事が増えていくように思います。仕事を例に挙げます。依頼された仕事について、ただただ闇雲に手を付けるのではなく、優先順位と解決への方法論を考える事はもちろん、担保できる質と解決までの時間を逆算し、他者の手を借りて効率を高める工夫や人の相性等も考慮していきます。
これらの一連の思考の流れは「慣れ」もあるのですが、慣れてしまった故に、結果的に小賢しくも「人を思うように動かそう」としてしまう事も多くなりました。そして、人を思うように動かそうとしている私自身を、その相手にも悟らせない様に立ち回ることもしています。この立ち回り方が、時に自分を演じ過ぎてしまって、疲れを感じる事がありました。この疲れの原因を掴むためにセルフスーパービジョンをしてみます。
演じ過ぎてしまい疲れを感じた私の一例を挙げてみます。
私は、相手に動いてもらう為の方法として、頼ることで相手にやってもらう手法を良くとります。これは相手の専門性が必要である事を認識させ、その人が動く動機づけを与える事で、結果的に私が考える望ましい方向に相手が行動するようにしているのです。
これは手法としてはあるものの、頼る手法を取る側の私が、相手に対して「本心として頼っていない」という事があるのです。言語化すると酷いのですが、私にとっては相手を動かしたいだけなので、本心では頼りたくないが、結果的に「頼るフリ」をしておいて相手を動かすように仕向けている私が居るという事です。
気持ちが伴っていないからこそ、相手に対してはもちろん、私自身に対しても嘘をついて「ごまかして」いると感じすぎて心が辛くなる時があるのです。
この状況の私を俯瞰した時に見えてきたのは、結局私は、相手を「見下している」という事でした。そして自分が相手に対して優位性を感じている時にしか、変な頼り方はしていないという事にも気が付きました。私の思うように動かしていきたい相手がいた場合、組織の立場上相手が上な場合であっても、私としては相手を下に見ているので、方法論として「下に出てやっている」という状況です。言語化してみると、私はなんて横柄な人間なのかと思います。恥ずかしいです。
しかし、横柄で人を見下している私が本心であれば、自分をごまかして下に出てやっているのですから、それは自分に嘘をついていますので、心が蝕まれて当然ですよね。自分の恥を言語化してきましたが、この心のロジックに自分で気が付けて、本当に良かったです。
頼るフリをして見下している自分に気が付けないままでいると、最終的に私は相手から信用を失い、「頼られない」存在になっていきます。これでは、更に自分の心が蝕まれていきます。
この気付きから一歩前に進むためには、相手を見下したまま「相手を動かしてやろう」という野心で動くよりも、相手の良い部分に気付き、それに着目しながら相手と共有していく事だと考えます。その積み重ねの中で、相手の良い部分の力をしっかり活かして欲しいと伝える事が、真に「頼る」という行動なのだと振り返りました。