自分の気付きと振り返り(104)「福祉が福祉であるために」
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「福祉が福祉であるために」というものです。

私は、福祉の業界に身を置いて仕事をしていますが、そのこと自体が既に「当たり前」になっています。対人援助職としての仕事をすることが、既に日常となっているそんな時に、研修会で本日の言葉である「福祉が福祉であるために」という言葉が、自分の中で心に留まりました。
今の世の中が「寛容さの無い社会」と知りながら、それが仕方無いと頭で処理するようになっていた私は、本来の「福祉」を、目の前のクライアントの為にその知識・技術・態度で、示し続けているだろうか、御座なりになっているのではないかと、この言葉で振り返るきっかけを貰いました。
寛容さの無い社会は、クライアントと支援者側である私達の両方に及ぶものです。クライアント側の目線で見れば、クライアントとして目の前にいる方が、クライアントとならざるを得なかった「環境」や「状況」や「家族の歴史」や「病気」や「障害」などの要素があるのです。これらの要素は、自ら望んで今に至るものではないと思います。自分では変えられない要素から陥ってしまった故に、支援者側から見ると「失敗」と取れる行動や考えに至ることで、支援者に繋がることが多くなります。
寛容さの無い社会は、これらクライアントとなった方の失敗と取れる行動や考えを、最終的に否定しやすくなります。この風潮は、「ハラスメント」という言葉が一般化していることも相まって、支援者側もクライアントの失敗を繰り返すことに付き合えず、「過度な要求」と捉える部分が多くなりやすい状況です。また、昨今の「ヒト・モノ・カネ」が無い状況で、タイムパフォーマンスとコストパフォーマンスを求められる経営体制・組織運営で働く支援者は、増々なクライアントの失敗に付き合えない環境で燃え尽きます。
以上の状況は、現代社会の風潮として「自己責任」という論調を強め、人々に「失敗の無い人生でなければいけない」と思わせてしまいます。ここで改めて、今回の言葉である「福祉が福祉であるために」を自分に問いかけます。
そもそも、「失敗させないのが福祉なのか」と問われたら、「違う」と私は答えたいです。福祉は本来、失敗した人を支える事だったはずです。それが、寛容さの無い「社会環境(構造)」と「社会状況(様子)」により、クライアントにならざるを得なかった方は失敗すると元に戻ることは出来ず、それを支える支援者は、最終的に「支援」の名前を使った事実上の「強制」をしてしまえる状況に繋がります。
この状況整理は、今の自分の仕事ぶりに当てはまってしまう事が多く、ぞっとしました。そして、もう一度対人援助職として自分の仕事の価値観を取り戻す必要があると考えました。福祉が福祉であるために、本来の「福祉」の意味を思い返して私は仕事に当たる必要があります。
具体的には、今の社会環境と社会状況だからこそ、クライアントを一人の視点だけで支える事の限界性を見極め、支え手である支援者を増やしてチームで対応する事が今出来る対応策だと再認識しました。
チームで役割分担をしながらクライアントの支援を行う事は、責任と仕事を分担していく事に繋がり、福祉が福祉であるための仕事(対人援助)として、長く続けて行けるポイントなのだと思います。福祉が福祉である意味を振り返る事で、私の仕事の真ん中に「人権」を意識出来るのだなと改めて感じました。