自分の気付きと振り返り(114)「人生は一問一答で動いていない」
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「人生は一問一答で動いていない」というものです。

私達の暮らしはAIの発展に伴い、簡単に「答えのようなもの」「最適解と思われるもの」にたどり着くことが出来るようになりました。そして、そこにたどり着くまでのプロセスとスピードに個人の努力も必要なく、経済的な負担も限りなく無い状況です。
AIが発展する前の私は、何か問題や課題が目の前に来ると、まずその対象に向き合うこと自体に時間がかかっていました。それは、向き合う事がモヤモヤをずっと目の当たりにしていく事とイコールだからです。そして、いざ問題に向き合うと、解決のためにどうしたらいいか、悩みます。解決のための試行錯誤はもちろんのこと、自分の考え方・価値観も変化させて、納得していく過程も必要でした。
当然1日や2日で解決に至らない事が当たり前でした。場合によっては年単位の時間がかかり、ようやく腑に落ちる感覚に至る場合もありました。モヤモヤを抱えながら、時に場所を移動して考えたり、新しい視点を手にする為に本や音楽に触れたり、人に会ったり、時に道草をしたり、徒労とも感じられる時間を過ごして、ようやく手に入れた感覚や納得やアイデアは、まさしく「身体知」なのかなと振り返る事が出来ます。
AIの発展した今の時代は、これら身体知を体感することはあまり無いように思えます。そして、簡単に「答えのようなもの」「最適解と思われるもの」にたどり着くことが出来ることで、あたかも自分の生き方が「一問一答」のようにスパッと割り切れるような錯覚に陥りやすいのだと思います。その上、情報に溢れ、情報に時間もお金も労力もかけなくて良い今の世の中は、自分のモヤモヤを抱える耐性も無くなってきているように感じます。
私は、その人の生き方や人生には、様々な歴史が詰まっていると考えます。そこには、決して割り切れなかったものや、腑に落ちないモヤモヤ抱えて今に至るもの、心の傷などがあるのが当たり前だと思っています。沢山の矛盾を経験して、自分で自分に折り合いを付けて生きていくプロセスそのものに価値があると考えます。だからこそ「人生は一問一答で動いていない」と私は思うのです。
一問一答で解決された生き方を否定している訳では決してありません。AI時代において、一問一答で解決できない世の中の出来事や人間の生き方があるということに、絶望しないで良いと私は思うのです。