自分の気付きと振り返り(110)「AIと中身の無い成果物」
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分の心に留まったもの、自分の振り返りの言葉などを取り上げて、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「AIと中身の無い成果物」というものです。

今回は、AIとそれを使う私や、AIと人間を取り巻く状況などを振り返りたいと思い、言語化してみたいと思います。
AIを気軽に使う事で、結果的に「中身の無い成果物」を多くしてしまう可能性が高くなりました。
日々進化を続けるAI技術は、私達の生活や仕事の中で存在感を増しています。メールの返信からデータの分析、資料作成や議事録作成、はたまた相談相手として…。
今の私が、AIと自分の付き合い方で注意をしている事は、AIを「自分の能力の拡張」に使えるようにするという事です。あくまでも自分が主体的にAIという技術を利用させてもらっているという理解です。AIに指示をして「作業の自動化」として使ってしまうと、結果的にそのリスクの方が高いと今の私は感じるからです。仕事を例にして、もう少し言語化してみます。
仕事をAIに作業として任せて自動化し、その成果物をそのまま提出・提供をしたとします。形の上ではその成果物は綺麗に出来上がります。しかしそれは本来、ただの作業です。このただの作業を、使う側が「AIを使うと楽が出来る」という受け取り方だけをしてしまうと、結果的にAIを使う側は作業を熟すだけが目的となり、その先に意識が向いていない状況が継続します。この状況は、人に仕事の「責任」と「主体性」を欠如させます。
AIを使い、中身の無い成果物を主体性なく出し続けた末路は、人との信頼関係の喪失だと考えます。
橘玲さんの著書「バカと無知」でも記載がありましたが、人間という生き物は、そもそもそんなに優秀ではないと私も思っています。でも「やっかいな自尊心」を持ち合わせていますので、人間は「他者と比較」をし続けます。それが原初からの生存本能に起因する反応ですから、止められないのも事実です。
AIを使える現在の私は、やっかいな自尊心を隠すためにAIを使い、見た目は良い中身の無い成果物を作り続け、面倒な責任と主体性を放棄して、他者にマウントを取り続けるように行動出来るのです。
この様に振り返ると、何だかぞっとしてしまいました。そこで、AIを使う側がこのような状態に陥らないためにどうしたらよいか私なりに考えてみました。すると、解決の手掛かりは、自分が向き合っている「相手への誠実さ・敬意」や「相手への理解度や解像度を高くすること(アセスメント)」なのかなと思いました。
それこそが、AIを利用してもなお主体性を保ち、個々の相手へカスタマイズ出来る事に繋がります。それを無くしてしまうと、あっという間に「作業の自動化」が生まれ、ともすれば、どこかで見たような、その人に届かない、「中身の無い成果物」を渡してしまいます。
これらをソーシャルワーカーの視点として考えると、個別化もアセスメントも無く行った一般的な対応は、絶対にクライエントに届かず、結果的にクライエントへ不利益を渡してしまう。この構図に酷似しています。相手に対する尊敬や、相手に対する理解度や解像度を高くする事(個別化・アセスメント)が、AIを道具として使う人と使われる人の差になるのだと改めて振り返りました。