自分の気付きと振り返り(14)
この記事を書いている人 - WRITER -
現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。
中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。
また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。
様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。
また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。
日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「【偏見】は【知性】の手抜き」というものです。
仕事をしていく中で、自分が感じた一瞬の思い付きで、その人を「分かった気になる」ことがあります。過去の経験と照らし合わせて、または他者の言葉を借りてその言葉通りに受け取って分かった気になる。
そこには、「色眼鏡をかけてみる」「ラベリング」のような「先入観」のままに見て、それが全てだと思い込むような状況です。物事を一方方向から見て情報を取得して、他の視点がある事を考慮しないのですから、当然決めつけて分かった気になります。
これは対人援助職をする中で、とても怖さを感じます。
対人援助職として、クライアントやその関わる人や状況、環境をアセスメントする事は日常です。その日常のアセスメントが、自身の偏見だけで決めつけているとすれば、仕事の質は大きく劣化します。
最悪の場合、「クライアントに不利益を渡す」行為になります。自分のアセスメントで、結果的に、人が死んでしまう可能性もあるのです。
今回の「【偏見】は【知性】の手抜き」という言葉は、対人援助職の行うアセスメントに通じていると考えます。なぜなら、クライアントが多面体であるということを見ず、目立ってしまう側面だけが目に入り、その情報にのみ引っ張られてしまうとすれば、それこそ偏見です。
専門職として、多面体であるクライアントの他の要素を見ようとしなかったのですから、知性の手抜きと言われても当然の仕事ぶりになってしまいます。
自分の仕事ぶりを振り返る意味でも、「【偏見】は【知性】の手抜き」という言葉が、自分を振り返る言葉になって自己点検できると、より素敵な仕事に繋がるのかなと感じます。
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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。
中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。
また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。
様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。
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