自分の気付きと振り返り(28)

日頃の仕事での気付きや、本やメディアなどの言葉で自分に引っかかった事を自分の言葉を追加して、備忘録的に書き留めます。
今回の言葉は「”今”は過去と未来の先にあるんだ」というものです。この言葉は、星野源さんの「Eureka」という曲の歌詞の1つです。
星野源さんの曲や歌詞の意味については、聞き手によって解釈が変わるので、この曲の歌詞に込められた1フレーズの意味を考察するのではなく、単純に「”今”は過去と未来の先にあるんだ」という言葉の意味について、気付いた事を言葉にしてみようと思います。
私は仕事をしていく中で、病気や老齢による「人生の終盤期」に差し掛かるクライアントとその家族にお会いする事が多くあります。その中でクライアントとその家族の「歴史」や「エピソード」を伺い、地域や人との「結びつき」や自分達を形作る「価値観」、その思いに至る「背景」を知ります。これらのアセスメントは間違いなく「過去」を知る事で、「今」目の前にいるクライアントを理解する事に繋がっています。
しかし、私には「未来」をクライアントに語らせる場合に、内容が薄くなりがちな事に気が付いていました。それは「既に終わりが見えてしまっている」状況において語る「未来」は、無理なポジティブを引き出してしまい「負担感」を感じさせる事に繋がるのではないか?回避不能な現状を無かった事にして「逃避」を助長させてしまわないか?そもそも私自身が、終わりの見えてしまっている状況で、何と言ってあげられるのか分からない不安を抱え、言葉に詰まる自分が辛くなってしまう状況を味わいたくないという「逃げ」があるからです。同時に、「未来」と聞くと、私は自然と私は「希望」に近い感覚で言葉を変換してしまっている事、そして希望を持って明日を迎える事が、無意識に「正しさ」のように捉える癖があると自己覚知出来ました。
これら私の感情に対して、今回の言葉である「”今”は過去と未来の先にあるんだ」を自分なりに考えてみました。すると、「今」というものは、単に「過去と未来の間」にあるだけでは無いのだと思えてきました。
例えば、様々な状況で人生の終盤期を迎えるクライアントとその家族は、色々な部分で「区切り」を付けて「仕舞う・終う」という事を、視野に入れていく時期に入ります。今では「終活」や「生き終わり方」という言葉も出てきました。これら「終活」や「生き終わり方」を考える事は、実はこれから訪れる「未来」の自分を思う事と同義です。この未来を考えるのが「今」という事になります。
このように捉えると、様々な歴史から価値観を形成してきた「過去」の経験をもとに、これから訪れる「未来」を想像していく事で、その「先」にあるものを感じ取る「今」は、言葉通りに「”今”は過去と未来の先にある」という事なのだと思いました。
このような振り返りと気付きにより、私はクライアントとその家族との関りにおいて、未来を語るという事こそが今をしっかりと生きた証になり、それがこの先に繋がるという理解が出来た事で、終わりが見えている状況の中で未来を語る勇気が湧いてきました。