「生き辛さを支える」ソーシャルワーカーの相談室

私の失敗談(3)「悩む事には価値がある」

 
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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

昔も今も、私は色々な失敗をしてきました。そのような体験から、私が失敗したと感じた出来事や状況について改めて振り返り、言葉にしていきたいと思います。

今回の失敗から学んだ言葉は「悩む事には価値がある」というものです。

対人援助の仕事をしていると、色々な出来事に直面します。人によってはその出来事を「興味」を寄せて取り組む事もありますし、人によっては「困難」と受け止める事もあります。また、その出来事自体が「普通」に見える事で、違和感なく素通りしてしまう事もあります。

私の失敗談ですが、私は新人時代に先輩から幾度となく、「何でここを見なかったの?」と指摘を受けたことがあります。今思えば先輩としてはある事象をクライアントの為に「ひっかかり」を持って事に当たって当然という見え方をしていたのだと思います。ですが、対人援助職としてのアンテナの感度が今よりも弱かった私は、指摘された事にピンとこなかったのです。しかも指摘されたものを不服に感じて、更に責任転嫁をして先輩を責めるようになりました。「何でそんなこと言われないといけないのか?」「分かるように説明しないそっちが悪い」「私は悪くないし、今のままで出来ているんだ」という具合です。

私はスマートに仕事がしたいと思うプライドの高い自分がいます。だから、悩む事なんてあっても自分は認めたくないし、ましてや他人に知られたくありませんでした。当時の自分は本当にバカだったと今更ながらに思います。そして、今思うと、先輩に対し本当に申し訳なく、猛烈に恥ずかしさを感じます。今なら素直に「ごめんなさい」と謝れます。それと同時に、先輩はソーシャルワーカーとして、私を同じ仲間だと思ってくれているからこその言葉だったのだと振り返ります。

昔は嫌だった「悩む」という状態にある事は、自分がソーシャルワーカーとしてケースにちゃんと向き合っている証拠だと言えます。そして、悩むためには、その前段階で自分自身のソーシャルワーカーとしてのアンテナに何かしらの「ひっかかり」があったからこそ、過ぎ去らずに残っていると言えるのです。そのひっかかりから悩みが生まれて解決に向かうプロセスは、間違いなくソーシャルワーカーとしての私を成長させてくれます。その成長は、必ずクライアントに向き合う事へ繋がります。

悩む事には価値があります。私も新人には今だからこそ笑顔で「いっぱい悩んで良いよ」「それが本当に大切なんだよ」と言っています。そして一緒に解決できるよと下支えしています。大切な事をまた思い出させてくれた振り返りでした。

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現在は医療機関で医療ソーシャルワーカーとして10年以上働いていおります。相談援助職の国家資格である「社会福祉士」の資格を持ち、介護保険制度のプロである「介護支援専門員」の資格も生かし、医療と福祉の両面で、生活すること、生きること、暮らすことのお手伝いを行っています。 中々人に言い辛い「お金にまつわること」を始めとすることや「社会保障制度」の活用の仕方や、「介護サービスのこと」「病院の選び方」に関わるアドバイスが可能です。 また「医師・看護師とのコミュニケーションの取り方」で中々自分の言いたいことが伝わらない一方通行な言われ方・やり取りをした経験はありませんか?医療職種の考え方・言葉の中に何が含まれているのか、紐解くお手伝いも得意です。 様々な公的制度や対人コミュニケーションを円滑にするポイントを探し、暮らしのお手伝いになれる「相談員」としてご活用ください。 また、気軽に趣味の投稿も備忘録として増やしていきます。

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