本の感想(2)
今回読んだ本はKADOKAWAから出版された、
「むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました」という本。
この本は、予防医学研究者の石川善樹さんと、日本放送アナウンサーの吉田尚記さんが対談形式で様々な日本文化に潜む「ウェルビーイング」の正体に迫る本。
昨今の情勢で様々な息苦しさを感じる世の中において、昨今また話題に上がる単語が「ウェルビーイング」だった。漠然と「幸せ」とか「楽しさ」とか「喜び」というものに直結しがちなウェルビーイングという単語だが、日本人の文化としてこの単語をちゃんと説明できるものは無かった。そして私自身が「ウェルビーイングって何?」という状況だったため購入。
以下感想。
【~感想~】
<言葉の意味>
・社会福祉的に捉えるとウェルビーイングは、「幸福で肉体的・精神的・社会的すべてにおいて満たされた状態」という解釈。なんとなく分かるような分からないような。
・社会科学的に捉えれば、「過去を振り返ったときに良かったと思えて、この先の未来を見据えた時に楽しそうだなと思える」だという。解釈は少し身近になったが、いまいち体感的にしっくりこない。
<日本人のメンタリティ>
・日本人の文化は、元来「否定を受容」してきた。例えば、失うものの怖さから、今を良しとして自分に言い聞かせる事で精神的な安定を保とうとするメンタリティがある。言い換えれば「わびさび」を評価する考え方が望ましいとされる「低め安定型」の日本人の生き方に表れる。
・否定を受容する日本人文化が「謙遜」を生んだと言われると、はっとさせられる。「日本人の自己肯定感は、自身の否定を他者から否定され、ようやく生まれる」。この言葉がとてもしっくりきた。
<他者との関係性>
・関係性についてもこの本では取り上げている。そこに「居る」ことの意味を改めて「知る」ことで、社会的な動物である人間は「安心していられる」ことが出来る。心地よさからくる幸せは、この部分かもしれない。
<安心できる居場所>
・能力や技術だけを物差しにする社会は「分断」を促してしまう。「する(doing)」で相手を判断するのではなく、「いる(being)」ことを許し合える寛容な社会が、今の「生きやすさ」に繋がり「ウェルビーイング」に近づけるのではないか。「ウェルドゥーイング」と対になることで、改めて「ウェルビーイング」を知ることができた。
・ウェルビーイングは、交流分析の理論と重なる。imOK.yourOKが、自分も相手もただ「いる」ことを認められる世界。そこには評価も批判もない。
<刺激と内的な動機付け>
・現代では「推し」の文化が、人の心をイキイキとさせてくれる。自分よりも大切に思える存在が「いる」という事実は、正論や理屈では得られないパワーが宿る。
<元気と病気>
・健康診断を例に。まず問題点の指摘からスタートする。だから指導する。脅し型は一時的な行動変容は出来るが、長続きしない。一方で、やれていることに注目して「今を認める」と、心が揺さぶられ「やる気」にもなる。「褒める」では「否定」したくなるので「認める」ということ。そこから「繋がり」や「興味」に代わる。
・正しさだけでは人は動かない。
・人を元気にするのは、医者じゃなくても出来る。
<面白がると、イキイキとする>
・結果が分かっていることをやり続けると、長期的には人生の彩が失っていく。ヒトはハプニングを恐れる動物だから安定を求めるが、それだけでは生きられないし活きられない。
・他者との関係性が因果となり、ハプニングやサプライズに繋がり、その「不安定」を面白がる努力が、ウェルビーイングの一つの側面だと思う。